「売り出し方をつくるコーチング」
もはや日記ではないレベルの「こうすけ日記」
心理ブログよりもファンが多いとか・・
心の解説者の平山こうすけです。
ニッチなエッセイで人気の”僕のシリーズ”、
今回は「24時間と僕」についてお話をします。
お酒を飲む人の言い訳の1つに「寝れないから」
があります。
飲まないと寝れない・・という気持ちは僕にも
理解ができるのですが、
禁酒をしている僕は、飲まなくても飲んでも
寝れないことが多い(笑
挙げ句の果てに、寝れないのであれば
外にドラクエをやりに行く!ほぼ徘徊の領域にまで
到達してしまいました。(深夜相当寒いですからね)
そんな深夜にまつわる今回のお話。
24時間営業。
仕事もとことん!遊びもとことん!という風潮から
1980年代に始まりを見せた24時間営業。
ガソリンスタンドや、ファミリーレストランから始まり
今ではコンビニなど24時間営業しているのが
当たり前の生活環境になりました。
24時間営業って、令和の社会では古い習慣に
なりつつあるんですね。
コロナ社会の影響や、人不足によって、
24時間も営業することのほうが負担に変換したようです。
求める方にとっては好都合でも、求められる方にとっては
悪循環になっていたんですね。そりゃそうだ。
僕の学生時代は24時間真っ只中の時代でした。
だから深夜のバイトなんかは高額で、寝ているくらいなら
バイトをするという生活を僕も経験していました。
僕は、深夜のコンビニエンスでバイトをしていたんですけど、
まー粗悪なお店で(笑
レジ前でタバコは吸うわ、お店の駐車場には走り屋の車が
集合する毎日で、不良の溜まる場所のためにある
明るい敷地でしかなかったと思う・・
実際に都心でも家に帰らない人が時間を過ごすとか、
社会が活動する朝までの繋ぎという利用が多いと思います。
そういう意味では、次の日になんの影響もない人が
利用したいのが24時間かもしれない。
深夜にやもうえず利用という人は1割いないと僕は思う。
そんな令和の深夜を僕はドラクエという徘徊をする。
深夜3時の吉野家に男の子3人組。
コンビニで酒を眺める中年1人。
客が来ないとあきらめながら外でタバコを吸うタクシー運転手。
僕のいるここは都心じゃないけれど、
深夜の人の動きが変わったと、ここでさえ思う。
実際、SNSの普及によって会わなくても顔を見て
話せるし、通信でゲームも遊べる。
みんな寝静まったのではなく、家で起きている
スタイルに変化したのだと僕は思う。
リアルに深夜に起きて外に出るのは、
明日も予定のない人か?僕みたいに徘徊する変人しかいない。
そうなると、24時間のデリバリーに需要はあっても、
深夜の飲食店にわざわざくる人は減っていておかしくないんだ。
だから、深夜はこんなにも静かになった。
秋の深夜には月と金星が綺麗に見える。
朝じゃないから犬もいないし、じいさんも少ししかいない。
数少ない橋の下の乞食も寝てるし、車も少ない。
これが令和の深夜なんだ。
今では渋谷のマックも23時に閉店をする。
自分が若いと思っている年代ほど、
24時間が当たり前になっているのかもしれない。
今の当たり前は24時間じゃなくなっているのに。
リゲインの24時間たたかえますか?のCMや、
「今日はオールしよう!」は死語になり、
オールナイトをしたかったら自宅か宿泊先でに変わった。
僕個人は21時に就寝の生活習慣だから、そこまで
関係していないけれども、深夜に起床するクラスとしては
あまり変わらない部分が否めない。
「なんであんなに夜遅くまで仕事をしていたんだろう」
という気持ちが寂しくなる。
「夜遅くまで頑張って、朝はやくから努力して」
そんな環境に”充実”という謎の魔法をかけていた。
深夜ドラクエの徘徊をする僕は、明日になんの予定の
ない人と同じ行動をしている。
おっさんたちは、無理をしてタクシー運転しているんじゃなくて、
青春時代をそのまま生き続けているのかもしれない。
夏日も90日続いて、税金も上がった。
いつの間にか自分もおっさんの年齢になって、
静かな深夜に街を眺める。
街は静かで24時間の歴史が消えていく。
でもどこかで人は明るさや、温かさを待っている。
明るさの前には、深夜の暗さも必要になった。
古い、古いと否定する前に、
古い文化に成長させてもらった僕がいる。
今日も深夜から1万歩、
日中も歩けば2万歩・・・
少しずつ空に朝が見えてきた。
ブログをご覧頂きありがとうございます。
日々向上される皆様を心から応援しております。
心の解説者®︎・エッセイスト 平山 コウスケ
心の解説者®︎・エッセイ・随筆・ポジティブ心理・サイコパス・ユーモア哲学・売り出し方・コーチング・平山 こうすけ コウスケさん